●研究エッセイ:人とコンピュータの未来

by 椎尾一郎(全人教育1997.9, No. 591, p.35-38)
玉川学園同窓会、父母会向け雑誌

●現在のコンピュータ

 コンピュータと聞いて、どのような機械を思い浮かべますか?

 テレビのようなディスプレイに、キーボードとマウスが接続された装置を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。マウスとは、石鹸箱のような形で、上に押しボタンが付いた装置です。机の上でマウスを動かすと、ディスプレイ画面の中の矢印(ポインター)が連動して動きます。この画面の中には、書類やフォルダーやら電卓など、いろいろな絵柄のマーク(アイコン)が列び、ワープロなどの作業中の書類などは、四角く区切った領域(ウィンドウ)の中に表示されていることでしょう。ポインターを適当な場所に動かして、マウスのボタンを押すと、メニューが現れていろいろな操作が出来るはずです。

 現在販売されているパーソナルコンピュータは、すべて、このような道具だてで操作するように設計されています。画面に表示されるウィンドウとアイコンとメニューを、マウスのような指示装置(ポインティングデバイス)で操作する方式を、その頭文字をとって、WIMPとよぶこともあります。また、図形を主体とした使用者とコンピュータの会話方式という意味で、グラフィカル・ユーザ・インタフェース(GUI)とよぶこともあります。

 GUIは、物を引きずったり叩いたりする直感的で直接的な操作を主体としています。こうした操作は、人の動物的な基本動作であるので、知的活動を行なうコンピュータ利用者の負担になりにくいといわれています。利用者の思考を煩わさない操作により、コンピュータの存在を透明にしようとする試みです。

 ここ数年ですっかり定着したGUIですが、その研究は1960年代に遡り、最初の商用化は1980年代に入ってすぐのことでした。初期の研究を調べると、現在のパーソナルコンピュータで行われている最先端の利用技術のほとんどの概念が、すでに実験されていたこに驚かされます。また、現在主流のGUIが、1980年代の製品と比較して著しく使い易いかというと、そうでもありません。GUIは、コンピュータ利用技術の大発明といえますが、基本的なアイデアはすでに何十年も前に発明されているのです。

 人とコンピュータの新しいかかわりあいを探るさまざまな研究は、30年前のGUIの研究と同じく、未来のコンピュータを予言する試みといえます。このエッセイでは、コンピュータの新しい利用方法について現在研究されているユニークなアイディアをもとに、人とコンピュータの未来を予測します。

●未来のコンピュータ

 未来のコンピュータは、現在のコンピュータのイメージとは違うものになるでしょう。ディスプレイのなかの世界を、WIMPの手段で操作するのではなく、コンピュータの外の世界と密接に結び付き、実世界の物の操作がコンピュータのなかに反映する、実世界指向の利用方法が主流になると考えられています。

 たとえば、今のGUIでは、画面のなかにフォルダや書類を置いて、情報を整理しています。画面の中には、あたかも机の上であるかのように物が置かれていますが、それはあくまで比喩(デスクトップ・メタファー)であって、実世界のフォルダや書類とは関係がありません。一方、実世界指向の利用方式では、実世界の書類、フォルダ、書類棚の状況がコンピュータで把握されて、実世界で書類を動かすことで、コンピュータのなかの情報を動かす操作が実現されるでしょう。

 現実世界と結び付いたコンピューティングが可能になるであろう根拠の一つが、低価格化、小型化、性能向上の結果による、コンピュータの日用品化です。コンピュータが身近に、どこにでも存在して、だれも特別な物とは思わなくなる世界にまもなく入ろうとしています。そこでは、高性能なコンピュータが、現在のヘッドフォンステレオ再生機、携帯電話、腕時計のように身近な存在になります。また、現在でも、家電製品の中、車の中、建物の中にふんだんに組み込まれているコンピュータは、さらに高性能になり、ネットワーク接続され、私たちを煩わせることなく、連携して働くようになります。すくなくとも家中の家電製品の液晶表示時刻を合わせるために大騒ぎする必要はなくなるでしょう。

 このように、身の回りに遍在している無数のコンピュータが、ネットワークで連携する世界では、コンピュータと利用者が接する場面がブラウン管の中だけにとどまることはないでしょう。実世界のさまざまな動きをきっかけとした、コンピュータ操作が一般的になるはずです。

●身につけるコンピュータ

 未来のコンピュータ利用の一つの形が、身につけるコンピュータ、ウェアラブルコンピュータです。

 現在、ノート型パーソナルコンピュータや、電子手帳またはPDA(パーソナル・デジタル・アシスタント)とよばれる手のひらに乗る大きさのコンピュータが注目されています。携帯電話などの無線ネットワークと組み合わせて、いつでも、どこでも使えるコンピュータを目指しています。このような利用形態をモーバイル・コンピューティングとよびます。

 これがさらに進化すると、身につけて使われるウェアラブルコンピュータになるといわれています。現在試作されているウェアラブルコンピュータは、ベストのポケットやウェストポーチのなかに本体が収まり、キーボードなどの入力装置が腕に取り付けられ、眼鏡のような表示装置(イヤフォンのように個人だけに情報を提供することから、アイフォンとよばれることもあります)にさまざまな情報を表示します。アイフォンは、片目あるいは両目に装着します。バーチャルリアリティの装置で使われるディスプレイと違って、両目装着の場合も、外の情景にコンピュータの表示を合成する工夫がされているので、装着しても通常の生活が可能です。

 片目に装着したアイフォンを通して膨大なマニュアルの検索結果を表示することで、車両・飛行機などのメンテナンス作業を支援しようという研究があります。マニュアルを見ながら、同時に保守作業が行なえるので効率が良いのです。また、眼鏡に装着したテレビカメラで出会った人の顔を撮影して、顔データベースを検索して、相手の名前をアイフォンの中に表示するシステムも試作されています。人の名前がなかなか覚えられない人にとっては朗報でしょう。アイフォンを装着してプリンターや複写機を見ると、中の構造や保守の方法が実写に重ね合わされて図示されたり、建物の壁を見ると、内部の配管や説明が見えてしまう装置も作られています。

 机に置くコンピュータは、デスクワークの場面で人の知的活動を支援する道具でした。これに対して、身につけるコンピュータは、実世界のあらゆる場面で、常時人の知的活動を支援することができます。これは、眼鏡や補聴器が人の視力、聴力を強化させる道具であることと同様に、ウェアラブルコンピュータは人の知的能力を強化させる道具といえます。いつでも膨大な量の文書を検索できる装置を身に着けた人は、文字どおりの生き字引になって、自分の記憶力を強化させたことになります。何千人もの人の顔と名前が解ってしまう能力も手に入ります。また、機械の中の構造や、壁の向うの配管が、開けるまでもなく見えてしまう道具は、人の認識力を強化する道具と考えることができます。

●コンピュータによって強化された環境

 ウェアラブルコンピュータが人の能力を強化するのに対して、身の回りの環境をコンピュータによって強化して、今までにない知的活動空間を作り上げようという研究があります。コンピュータやセンサーが埋め込まれて、コンピュータの能力により、従来以上の働きをする家具、部屋、建物、街を作っていこうという試みです。

 たとえば、通常の事務机の上方に、投影型のコンピュータディスプレイを設置して、コンピュータの画面を机の上に投影します。机の上には、本物の書類やフォルダや文房具が乗っているのですが、それに加えて、コンピュータの画面に出てくる、書類、フォルダのアイコンとウィンドウが表示されます。机の上で、現実世界の物と、コンピュータが作り出した仮想の物が同居します。従来、比喩であったコンピュータの中のデスクトップが、現実世界のデスクトップと同居して、現実の机の機能を強化します。机上に同居した現実と仮想の物の間に、適切な橋渡しを提供してやれば、それぞれの良いところを組み合わせた新しい知的作業環境を作り出すことができます。

 写真は、筆者が試作したコンピュータ強化机の実験風景です。机の上には、本物の電話機と、投影された電話帳プログラムのウィンドウが同居しています。電話機は、持ちやすい送受話器や、手ごたえがあり確実に押し込めるテンキーなど、現実の物でしか実現できない特長を実現しています。しかし、現実の電話機に、コンピュータの画面の中に実現されるものと同じくらい使いやすい、電話帳機能を組み込むことは困難です。そこで、写真のデモでは、単純な操作の場面での電話機の使いやすさと、複雑なデータベース操作の場面でのコンピュータ画面の使いやすさを同時に実現しています。

 写真では、使用者が消しゴム大の小形の指示装置を持って操作しています。この装置をInfoBinderと名づけました。InfoBinderには押しボタンスイッチと発光ダイオードがあり、位置、ボタンの状態、識別コードを、机上方のテレビカメラで知ることができます。InfoBinderで、ウィンドウを閉じる操作をすると、閉じたウィンドウのアイコンがInfoBinderの場所に表示されるようにプログラムしました。この結果、ちょうど紙挟みが紙を束ねるのと同じように、コンピュータの情報(アイコン)への結び付きを保持します。アイコンを保持した状態のInfoBinderは、コンピュータの中のアイコンを現実世界に具現化した存在といえます。電話帳プログラムのアイコンを保持したInfoBinderを、電話機にマジックテープなどで張りつける使い方もできます。これで、電話機に電話帳プログラムアイコンを張りつけ、その二つを一緒に管理して、必要ならば直ぐによび出せるようにできます。

●将来のコンピュータ技術者

 未来のコンピュータは、Tシャツに印刷され、壁に塗り込まれて、身の回りに無数に遍在するようになります。たがいにネットワークして、人の能力や、環境の機能を強化する存在になるでしょう。その存在は、透明になり、コンピュータであると意識されることが少ないでしょう。

 メインフレームとよばれる大型コンピュータが全盛の時代、ユーザの数は50万人程度といわれています。現在、パーソナルコンピュータのユーザはその100倍、ざっと5000万人程度です。将来、日用品となって身につけたり、環境に埋め込まれるコンピュータのユーザ数は、さらに100倍になって、50億人(つまりは全人類)になるでしょう。その時代に、コンピュータの応用を考案して、設計し、プログラムを書いていく仕事は、今よりも何十倍もの広がりと変化に富んだ、可能性のある職業になっているでしょう。

現在、コンピュータの利用に興味を持ち、コンピュータ技術者を目指している学生の皆さんの活躍に期待しています。

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