Report Vol. 10
第10回:帰国しました
8週間の研修出張を終えて、日本に帰国しました。最後のページとして、この出張を総括したいと思います。
■ よかったこと ■
現地で新しい研究を始め、6週間で論文を提出した。
実をいうとMa教授は、私の出張が決定した際に、「滞在期間が短すぎるので、
滞在中に成果が出るとは思えないけど、そのキッカケができればいいだろう」
という程度のことを言われていました。
おそらく滞在期間中の論文提出など、考えていなかったであろうと思われます。
いずれにしても、この期間中に論文を提出することができたのは、想定外の収穫でした。
※論文は提出しただけでは意味をなさないと思っています。
採録されて公開されて、初めて意味をなす、と考えられます。
さらにいえば、その公開が誰かの役に立って、初めて価値を持つ、とも考えられます。
よって、論文を提出したという事実は、ただの通過点に過ぎないかもしれません。
しかし仮にそうだとしても、通過点にさえ達しないのに比べたら、
はるかによいであろうと考えています。
私の出張期間は2か月間でした。ひょっとしたら、 「たった2か月だけの滞在では、期間が短すぎて、行って帰って終わりではないか」 と思われた方もいるかもしれません。しかし、それは違う、と私は断言します。
忙しい先生方の中には、「1年の海外滞在は無理だけど、2か月くらいなら…」 という方も、ひょっとしたら私以外にもいらっしゃるかもしれません。 できれば今後とも、今回の私のような研修出張の機会が増えて、 多くの先生方が海外での研修を経験されることを、私は期待しています。
現地に思い入れができた。
今回の出張では、自転車を利用することで、必要最低限の場所だけでなく、
狭い街の中のあらゆる場所を走り回ることができました。
また自炊のために、現地人と同じようにスーパーマーケットで買い物をしました。
これらの擬似的な生活体験は、現地への思い入れを強くしました。そして、
「もう一度研究のために同じ土地を訪問したい」という意欲を生みました。
わずか1か月のアパート滞在のために自炊をすることで、
却って経費が高くなってしまいましたが、
それに見合った収穫は十分にあったと思います。
また、その生活を支えてくれた家族にこそ、最も感謝する必要があるかもしれません。
■ 十分でなかったこと ■
準備期間が短かった。 今回の研修出張は8月31日の出国を計画しましたが、出張が正式に許可されたのは8月5日でした。 私自身が夏季休暇を取得している時期も重なったため、 実質的な準備期間は8月後半の2週間でした。結果として、
- 現地で何をするか決まっていなかった。
- 現地の生活がどうなるか理解しないまま、とにかく宿泊先だけを決めた。
- 講義や業務の臨時体制を決めるのも出国間際だった。
- 研究室の学生への指導対策も十分ではなかった。
そんな中でも、特に問題なく、またそれなりの成果をもって研修を終えられたのは、 ひとえに周囲の協力のおかげだと思います。 Ma教授をはじめとするデービス校スタッフの皆様、 お茶大の学科教員および事務関係者の皆様、伊藤研の学生諸氏、 そして家族には、感謝に堪えません。
現地学生との交流が少なかった。 論文提出に向けて、また日本の業務も怠らないように、毎日を忙しく過ごしていたので、 現地学生とゆっくり対話を楽しむ時間をつくることができませんでした。 現地学生も、いつも忙しそうにしている私には、声をかけにくかったかもしれません。 もう少し心に余裕をもって日々を過ごしてもよかったか、という気がします。
他の教授陣との交流がほとんどなかった。 完全に時間不足でした。もう少し滞在期間が長かったら、 他の研究室の見学などにも積極的に足を運んでいたのに…と思います。
■ これから心がけたいこと ■
活気ある講義。
デービス校で体験した講義は、本当に活気あるものでした。
学生からの質問は活発かつ鋭いものが多く、
それに回答する講演者のユーモアも優れたものでした。
私もこの講義を見習って、学生の発言を促し、
またいい意味で笑いに満ちた講義を目指したいと思います。
研究活動における高い目標設定。
世界的レベルを有するMa教授の研究室に滞在したことで、
自分もそれに近いレベルの研究成果を出せる研究室をつくりたい、
という気持ちを強くしました。
それも、自分で研究を進めて自分で発表するのではなく、
一人でも多くの学生に、世界的な場所での研究発表を経験させる
ことを自分の目標にしたい、という意思を強くしました。
※そのために必要なことは、単に研究のレベルを向上するだけではないと思っています。 おとなしい校風を破って攻めの姿勢で研究に臨むような雰囲気をつくること、 アメリカやヨーロッパへの旅費を不自由なく工面できる資金力をつけること、 など多くの課題があるだろうと思います。 まだまだ大学教員4年目という経験不足の私にとって、課題は尽きないところです。
自分のためよりも、相手のために研究や教育に取り組む。
Ma教授の研究室の学生は、大半が博士号を取得しますが、大半は企業に就職します。
その過程で彼らは、職業訓練ともいえる切磋琢磨の日々を送っています。
企業はそのような訓練を経た学生を歓迎しているようです。
その根底には、「企業はこういう人材を欲しているから、自分はこういうスキルをつける」
「学生はこういう人生を歩みたいから、自分はこういうアドバイスを与える」
というような、相手の要求が先にありき、という考え方を強く感じます。
このような考え方が、社会に歓迎される一要素なのではないか、という感想を持ちました。
日本の大学はどうでしょうか。 自分が生き残る方法ばかり考えていないでしょうか。 学生が成長するための最善の手段を私は提供できるようになれるでしょうか。 自分が面白いと思う研究活動に終始しすぎていないでしょうか。 実社会が欲しいと思う研究活動を私は実現できるようになれるでしょうか。 何が私にできるか、考えてみようと思います。
※それに関連する個人的な感想として、日本の大学(特に博士後期課程)は依然として、 自分の身近な組織(大学や研究機関)に残る人を育てるための組織、 という感覚が強すぎると思います。 産業界に歓迎される人を育てる、ということを、もっと考えてもいいように思います。 日本の大学院を最も根本的に変えるべき部分の一つに違いない、と私は強く考えます。 最近いくつかの大学で、 学費の無料化によって博士後期課程に学生を勧誘する活動が増えていますが、 それだけで問題が解決するとは私には思えません。
※ここから先、3年後の2011年に追記したものです。
■ 3年経ってみて、よかったこと ■
研究ソフトウェアの再利用。 当研究で開発したソフトウェアは、2011年5月現在で既に5人の研究室学生に再利用され、 多くの論文が既に発表されています。 現地での新しい研究は、現地での成果になるだけでなく、 その後の研究室活動の流れの一つを創った、という点でも意味のあるものでした。
科研費への採択。 当研究の延長にある新しい研究テーマで、科研費の基盤研究に採択されました。 この研究費のうち、大学に納める「間接経費」の額は、私の8週間の渡航費用と同程度です。 つまり私は科研費の採択をもって、数字の上では、金銭的にも大学への借りを返したことになります。
国際会議参加時の人脈。 私が滞在した研究室は非常に優秀な研究室で、学生達の多くは大学卒業後も、 研究の第一線で活躍しています。 彼らと再会することも、私にとって、海外出張の楽しみの一つになっています。
※ここから先、9年後の2017年に追記したものです。
滞在中の6週間で投稿して国際会議 IEEE Pacific Visualization Symposium に採択された研究が、2017年までの10年間の国際会議の歴史の中で「被引用数3位」であることがわかりました。
このスライドはIEEE Pacific Visualization Symposium 2017のオープニングで発表されたもので、上から3番目に伊藤の名前があります。82という数字は大したものではありませんが、現在も伸びているので近いうちに100に到達すると思います。
※ここまで、9年後の2017年に追記したものです。
ここまで全ページを見てくださった皆様、本当にありがとうございました。
この訪問記が、皆様の何らかの参考になることを祈っています。
おまけ
訪問記の目次へ戻る